2015年9月20日の屁理屈アネックス
日帰りでひだかの牧場へ。
日高市巾着田~曼珠沙華群生地散策
わしの出身小学校は田んぼのど真ん中で校舎の裏手から利根川の土手まですぐだったもんだから、毎年二学期が始まってすぐ、ほんの一週間ほどだけ通学路を真っ赤に染める彼岸花は、「毒があるので絶対に食べてはいけません」「家に持って帰ると火事になる」という教えや迷信も手伝って、華やかさと妖しさの入り混じった不気味な印象を子供心に強く残した。
参考:ひだかの旅 日高市観光協会WEB | 巾着田曼珠沙華まつり2015
わざわざ見に行くまでのものじゃなかったあの頃と違って、今は身近なところではなかなか目にしなくなってしまった。
曼珠沙華まつり
うとうとしてる時間帯にお誘いが。

電車+徒歩だろなかなか足を運びづらいのでありがたい。閣下とドライブは4年ぶりくらいか。

聞けば、高麗川は全国でも有数の群生地らしい。

巾着田という名は、うねる高麗川の流れがちょうど巾着袋に見えること(文明の手が入らなければ今頃三日月湖になってたんじゃ)、その内側に田んぼが広がっていたことに拠るものとのこと。群生地はこの内周に沿うように広がっている。



こんな感じで、雑木林の中に所狭しと赤いじゅうたんが広がっている。

数多の別名の中には死人花、幽霊花、地獄花といったネガティブなものも少なくない。秋のお彼岸だけ突如狂ったように咲き乱れ、その後は枯れることなく冬の間生い茂り、春夏は地中でひっそり過ごす独特の生態やその毒性が後押ししているのか、向日葵のような天真爛漫さではなく影の匂いがする妖艶な美女にも似た不思議な魅力がある。
ほかの地方は知らないけれども、こと関東では植生がきれいに一致してるようで、猛暑とか冷夏関係なく毎年測ったようにきっちり秋の彼岸に合わせて開花する(秋分の日に咲いてないことがない、といったほうが適切か)。そりゃ昔の人は不気味に思うよねえ。
墓地でもよく見かけた。死者への手向けなのか、はたまた生者を手招きしているのか。

彼岸花には花よりも“華”がよく似合う。見栄えの華やかさのみならず、華という字体と彼岸花のいでたちともに重心の高さを感じるからでもある。


出発前に画像検索でひととおりいろんなカットを見て撮るイメージをある程度固めてはいたのだけれども、なかなかどうしてそれに見合う条件がない。

老若男女問わず一眼使いがびっくりするくらい多く、カメラ持ちの大半を占めていた。

すぐわきを流れる高麗川(“こまがわ”だぞ、こうらいがわじゃないからな!)。水深は浅く、お子様やほぼ全裸中年男性の姿で賑わっていた。


紛うことなき“日高の牧場”である。観光客目当ての乗馬(引馬)や餌やりの客引きを見て、20年前の富士山乗馬倶楽部時代の自分を思い出した(桁違いにハードでえげつなかったけど。
正丸峠~帰路
このまま帰るのも芸がないしタイミング的に渋滞に巻き込まれるし、と少々足を延ばすことに。299号を北西に進む。


正丸トンネルを抜けると秩父まで目と鼻の先だが、そこまで行くと帰りがおっくうになりそう。

ひとっ風呂浴びて。スーパー銭湯の安っぽいレジャー感は嫌いではない。

すき家寄って。駐車場の壁のひび割れが一瞬おしながきに見えた。
横田基地過ぎて。自衛隊駐屯地とは違う、異国情緒漂う日本離れした福生の街並み・・・って普段からここまで賑やかだったっけか?

どうやら今日は年に一度のフレンドシップデーだったらしい。そうと知っていればわざわざ山奥に寄り道なんぞしないでとっとと戻ってきたわさ、来年はこれ最優先だべ。



そんなわけで、運転おつかれさまでした。
雑感ほか
日高が市になったの知らなかった。感覚的には高麗川の一体は飯能市の印象が強い。
隣接する県道15号は上りより下りのほうが空いてるので、圏央道の狭山日高で降りた場合、R299よりR407や県道30号からのアプローチのほうがアクセスしやすい。

公園内の駐車場のほか近隣の高麗小学校の校庭を開放しているので、クルマでも停めるのに困ることはないだろう。駐車料金はどちらも500円。またこの時期だけ入園料300円を徴収している。特産品や出店もけっこうある。
すでに少ししおれかけている花がけっこうあったので、撮影的には今日明日がピークと思う満開の直前くらいを狙うといいんじゃないかな。
事前に画像検索で参考にしたのはこのへん(コンタクトシート作成はSnap2IMGが便利だよ、わしがアーカイブスで使ってるJuicebox-Liteと作者同じみたい)。

ちょっと彩度が強すぎるけどね。
今回はトップライトばっかりでつまらんのだけれども、3時間もいるとさすがに飽きちゃって。午後3時くらいに現地入りすると夕暮れどきまで間が持つんじゃないかな。
林の中という植生的に空をバックにした構図はちょっと厳しいけど、そのぶん日陰と日なたのコントラストを活かした絵を撮れる(中山のパドックのアレと同じ。林の両側に遊歩道が設置されているので“赤いじゅうたん”っぽい構図に限らず背景に他の観光客が入り込みやすいことには注意。形状的にパノラミックな構図も取りにくい。それといい感じの華を見つけてもたいてい蜘蛛の巣がががががが
レフ持参でポートレート撮ってる人も何組かいたし、モデルさんの作品撮りにはいい場所と思う(ただし誰でもよいというわけじゃなく、和風美人向き。またはそれを意識したコスで)。オレはもういいかな。これはこれで楽しかったし府中も郷土の森公園内に群生地があるらしいけど、公園化されていない、お日様のまぶしいナチュラルな田園風景を撮りたいので次は伊勢原の日向薬師に行ってみる(アクセスしんどそう)。


マゼンタが強すぎるのか、こんなふうに陽射しが雲に遮られた状態で木陰を構図いっぱいに写しこもうとするとホワイトバランスが変な方向に転んでばっかりだった(見た感じは1枚目に近いけど撮影時にアンダー補正かなりしてる)。

なお今回レタッチでシャープネスはほとんどかけてない。等倍鑑賞でもすさまじいキレ。以下、等倍切り出し&クリックでオリジナルの撮って出し(4.7MB)。

一脚持ってったおかげでD810の性能をそれなりに引き出すことができたように思う(24-60mmは明らかにレンズの分解能がセンサーに負けてる)。HDRは三脚使わないと無理。




そしてマクロが欲しくなった(ニコ爺化の兆し)。これは右下に柵のロープが写り込んでたんだけど、フォトショの塗りつぶし→コンテンツに応じる(Shift+F5)で違和感なく消せた。

天然ものでも稀に花弁の白いものが存在するが、こんなふうに2本だけ群生を突き抜け寄り添って咲いてるのはなかなか珍しい。

今回のお気に入り。もう少し赤とんぼが手前に留まってたらよかったのだが、ピン合わせ直してる間に飛び去ってしまった。オリジナルが限界に近かったのか、レタッチで露出一段下げたらシャドウの階調がぐだぐだに。







巾着田で見上げた空にC-130。今思えば、まさにフレンドシップデーに向かう途中だったのだな。
脚注
- リコリス
- ヒガンバナは原産地である中国からの外来種で、遺伝学的にはtriploidy(染色体が奇数なので減数分裂が起こらない)のため種子による繁殖ができない。これは日本における植生は人為的なもので厳密な意味での自生は存在しないことを意味する。自然に生えてるように見えるものは大昔に植えられたものが手入れされていないだけである。あとはせいぜい、球根が水害で運ばれたくらいだろう。
- かつては飢饉の際の非常食でもあったが、全体にアルカロイド系のリコリン(リタリンではない)を含み、その毒性は嘔吐や下痢にはじまり皮膚炎、神経麻痺などなかなかに強く、場合によっては死に至る。毒抜きには手間が掛かるため、様々なダークな別名や迷信は子供たちがうっかり触ったり口にしないための先人たちの知恵なのだろう。ちなみにアルカロイド=毒ではない(アルカロイド=天然由来の塩基で、持っている植物は非常に多い)。
- コンタクトシート
- フィルム時代、ネガを印画紙に直置きして焼き付けたものをコンタクトシートあるいはべた焼きと呼んでいた(英語ではContact Printが一般的)。現像済みのネガフィルムはたいてい1スリーブ6枚にカットされるので、36枚撮りなら6x6列、24枚撮りなら6x4列となる(印画紙は六つ切がよく用いられるが36枚だと1列ぶん足りない)。やがてAPS-Cカートリッジフィルムが登場すると、インデックスプリントとして現像における標準対応となった。
- なおリバーサル(ポジ)は現像の際にネガのようなスリーブ仕上げか1コマずつスライド用フレームに収めるマウント仕上げを指定するが、ネガ反転されない=フィルムそのものが鑑賞対象となるのでコンタクトシートは不要だった(ライトボックスとルーペが必要になるが)。
- 大伸ばしする前の構図や露出などの簡易チェックとしてフィルム時代に、特にハイアマチュアやプロに好まれた。デジタル時代は撮影枚数の桁が上がってるため、下打ち合わせでのおおまかなセレクト用にサムネイルの一覧(やはりコンタクトシートと呼ばれる)を用意して臨む人は多い。たいていの現像ソフトや画像ビューアにはコンタクトシート作成機能(印刷機能)が搭載されている。